お米のルーツ 米のおかげで今の日本がある?!

米

近年、いろいろな食材や料理が私たちは食べられるようになりました。朝は、パン派の人も多かとおもいます。それでもやっぱり白いご飯は日本人の主食と言われるほどに食する機会が多いではないでしょうか。いったいいつ日本でお米が作られ、主食になるまでの過程があるのかを検証してみました。

米の歴史は古く、縄文時代にはあったそうです。それを物語るのは、2.500年前の一番古い田んぼが発見されたのです。そのもっと前に、岡山県の遺跡からイネの化石が発掘されました。これは、3.500年前のものだそうです。田んぼではなくてイネだけの化石だったので私たちが知る田園ではなくて、イネそのものを当時は作っていたと思われます。

縄文時代には、稲作が行われたと言われてますが、一体どのようにして日本にたどり着いたのかきになりますね。それは、今だ解き明かされていない数多くの説があります。

  • 中国の 江准地帯(長江・准河の間)から朝鮮半島南部から伝わる
  • 長江下流部から直接九州に伝わる
  • 中国南部からいったん沖縄にはいり琉球列島を北上して南九州に伝わる

と、いろいろな説があります。伝来してる経路の国は、アジアからということだけはわかりますね。

弥生時代に入ると栽培技術は未発達ですが、種もみを直接水田にまく方法と、苗を育て田んぼに移すという方法になりました。
現代の、田植えはみなさんもしってるように苗を水田に植えますよね!その苗は、苗代と言って水田に植えるまで育てるのです。私の家の周りにも田んぼがあり、身近な方の中にもお米農家さんもいます。聞いた話だと、お風呂場の湿気があるところで苗代を育てているとこのこと。一体、お風呂はいるときにはどうするのか・・・ちょっと悩みました。

日本の基盤になるお米は、弥生時代前期において水稲栽培が北九州から東海地方まで急速に広がりはじめした。主食が堅果類から米へと移行とう転換期を向かえることができたのです!

めでたしめでたし!と終わりたいところですが、もっとすごいことに!主食がお米へとなったことで日本の発展へとつなぐことにもなるのです。

  • 日本の人口が増えた!
  • 日本人の栄養状態が良くなった!
  • 経済が上昇し、祭りごとも多くなった!

日本の明るい未来を創る礎になったのです!!

●日本の人口が増えたのは?

急速に地域に伝わりると、お米を作る人たちも増えるので耕地が広がります。耕地が広がれば米の生産量も増えていき、扶養できる人口数も増加することで人口が増えることができたのです。。食べさせることができないと養えない・・・ということですね。

●日本人の栄養状態

人間の体は一般的に、エネルギー量となるたんぱく質、ビタミンなどの栄養素が不足すると体にいろいろな変化が生じます。例えば、身長や体重増加の制御。それによって身体の活動機能を維持できなくなります。その結果、いろいろな病気を起こすので成人はもちろん、特に乳児は栄養障害になり最悪の事態になってしまいます。こんな栄養状態だと、人口は増えません。

米食の開始にによって大幅に栄養が改善され人口が増えたのは確かです。お米が救世主となったのですね。

●経済の上昇

稲作が全国的に伝わり、食料生産の比重が高くなると国家規模で経済政策に関わってきます。ただし、経済がよくなっても国民はどうなのかというがちょっときになりますね。

古墳時代に入ってから、とくに大和朝廷が全国をほぼ統一していた時代、収穫したお米を収めることを義務付けました。それが「口分田(くぶんでん)」とう班田収授法(652年)です。歴史で習ったことがあるかとおもいます。

日本の歴史の上で、農民の生活の苦しさはなんとなくわかる気がします。この米を税金として納める制度は、明治初期までありました。

米を収める=通貨 に、当たります。これに関わる制度・改革は時代と共にかわりますがお百姓さんにとってあまりいいものではなかったでしょう。

・現代の祭り事・行事はお米に深いかかわりを持ってます。

作物を作る上、自然とは切ってもきれないものです。干ばつ・台風・異常気象などで水不足になり、せっかく丹精こめて働いてもこの自然の驚異には太刀打ちでないですよね。

今年は豊作になりますよう!そんな願いから、稲作にかかわる祭りが行われてきました。

私たちの地域のお祭り行事も、調べてみるとお米に関わっているかもしれませんね。

お米のルーツ、縄文時代から始まりお米を作ることで栄養状態もよくなり人口もふえました。日本人の主食となってるお米で今の私たちがいるのは確かです。しかし、時代の中、お米を作り続けたお百姓さんたちの努力を忘れてはなりませんね。人が作るものの大切さを教えてもらえた気がします。

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